生け花についてもっと静かなものを想像していたが、動的な芸術として活写しているのが印象的。出来上がった芸術品はそれ自体として完成しているし、一方でどのように活けるかという行為そのものもまた漫画という形態で闊達に描かれることで芸術的な振る舞いになる。花そのものはそれ自体で美しい、だがより美しく魅せることができる、その発展のさせ方が見事に描かれている。
生け花についてもっと静かなものを想像していたが、動的な芸術として活写しているのが印象的。出来上がった芸術品はそれ自体として完成しているし、一方でどのように活けるかという行為そのものもまた漫画という形態で闊達に描かれることで芸術的な振る舞いになる。花そのものはそれ自体で美しい、だがより美しく魅せることができる、その発展のさせ方が見事に描かれている。
未練を断ち切って前に進みたいね。
これは!!!!!!!!!俺の!!!!!!!!!オナニーじゃない!!!!!!!!!
芸術漫画いうよりは料理漫画の側面が強いだろ。制限時間内で人が満足するものをそこにあるもので創るっていうジャンルでしょ。
漫画批判というより競技批判だが、即興ってのが嫌だなぁ。
これだからゆとり世代は。
>>5
即興だからいいんだルルォ?事前に準備できる形だと、「ヒト」が出ねえだろがあ!!!
「ヒト」っつーか、「ニン」だな
「才能/センス」の解像度は実際かなり高いですよ。巨乳の部長なんかいいですよね。「技術はついてるし、センスの理屈も理解しているが、意外性が足りない」。芸事なんでもそうですけど、最後はメタ/ベタの切り替えをいかに巧くできるかなんですなあ。
序破離とか型破りと型なしの違いとかそういう話は根底にあるやろな
じっくりやることと即興でやるのはまったく別のジャンル。だから芸術的なものよりも競技的な側面が強調される。
この作品を読みながら頭の裏では「サクラノ刻」っていうエロゲにあったお絵描きバトルがよぎっていた。あの作品では12時間でくそでかキャンパスに絵を1枚完成させるうんぬんみたいな話で、なぜか勝敗がその場の雰囲気だとか色々理屈を付けられて説明されていたが、それを芸術と言い張るのがだいぶキツくてクソやなぁと感じた。この作品はそうじゃなくて、ゆっくり座ってやるやつと即興でやるやつは別々の扱いをしてスタートしていたから好き。
ちゃんと漫画内で作られた生花を読者にも見せてくれるのが好き
即興でも時間かけても本人らしさみたいなものは出ると思うけど、漫トロのランキング制作に近いのは時間かける方ではある。
まあ競技性の批判はしたけど、華道のお師匠さんが「結局楽しめるかが重要」みたいなこと言ってたし、一面的な視点で描かれているわけではなかったのは安心しました。
センス云々より、主人公が積極的に新しい世界に入っていく姿勢が良いと思ってる。
正直、漫トロの人間はみんなこれ好きだと思ってたし、僕しかハマってないのが本当に理解できなかったが、よく考えたら僕のこの漫画の好きなポイントってかなり僕個人の文脈に依拠してるなあと思った。
僕のこの漫画の評価文脈にはお笑いが密接に関わっている。どちらも「本来良さを定量化できないものを定量化するとして、何をパラメータとすればよいのか?」という問いに答えてるんだよな。まずは単純に技術。ただ、それだけの大会じゃ面白くないので、表現するモノの意外性も重要だ。ただ、最終的に大事なのは技術とか、意外性とか、そんな小手先のことじゃなくて、「その人だけがいい/美しい/面白いと思うこと」を突き詰めることが大事なんだよな。最近のM-1は特にこの傾向が強い。和牛とかさや香がギリギリで負けて、マヂカルラブリーやウエストランドが勝ってるのを見ると、「これが、彼らが自分だけの芸を突き詰めた結果なんだな」と思わせるのが大事なんですね。
今度こそ、夢の舞台へ。野球少女・村上もみじは、怪我により甲子園の夢を絶たれる。失意の中、もみじは先輩の水原サクラとイツキに出会い華道の世界を知る。己の観察眼とセンスを駆使し、即興で美を表現する競技生け花の世界にの魅了されるもみじ。見つけた、新たな夢は「花の甲子園」。川北高校華道部は3人一組で生け花の日本一を目指す!美しくも、熱い青春物語が今始まる。ミキ昴生「この漫画は満塁ホームランならぬ、満開ホームランです!」