チャンピオンの良心
チャンピオンの良心
理性枠ってこと?
チャンピオンのタイカの理性の理性
『Dr.マッスルビートル』と2号連続新連載でどっちもつまんなそ〜って思ってたけど、めちゃくちゃ明暗分かれたな。
「マッスルビートル」とかいう魚豊に原作外注したくせにいろいろガバって魚豊に見捨てられた黒歴史のことは忘れてやれてクレメンス
マスビ下手寄りな絵がどんどん崩れていってこわかったのら……。
また獣人かよだけどいろいろ差別化しててえらいね
これと並行して「ウシミツガオ」もやってるわけだし、バイタリティー半端ないわ。
板垣巴留はあと何年かしたら巻末漫画で読者からのお悩み相談コーナー始めそう
普通に幽霊セックス『ウシミツガオ』の方がおもろいやろになっていた
この漫画を読むのときの忌避感は無意識に根付いたヒューマニズムから来るものだろう。そこを観察して見るとどちからといえば「犬」の知性をそのままに保存してヒト化するような設定が人間らしさを根底から覆してしまうかもという恐怖を煽ってくるんだろうなと。それを思うと人間対動物が作品の主軸であるというよりは、むしろ右翼批判の側面が浮かび上がってくるように思う。心の奥底には結局のところ他者を意識が入った機械のようにしか感じておらず、対等とは違う態度で接しているのかもしれない。
獣人がするセックスは動物みたいなセックスなのか、人みたいなセックスなのか。
マジどーでもいいけど洋壱くんの眉毛どうなってんの。
これを読んで倫理的な気持ち悪さを感じる人はいると思うが、それが「動物をヒト化すること」への気持ち悪さ(つまり人間を非難する感情)なのか、ヒト化動物のふるまいに対する気持ち悪さ(つまりヒト化動物を非難する感情)なのか、自分でチェックするべきだ。動物としての習性を受け継ぐヒト化動物は、究極の異文化・異民族として読める。そして、作者は、タイカのふるまいに倫理的な気持ち悪さを感じるように意図して描くことによって「お前はどれほど異なる文化に対してどれだけ寛容であれるのか」、「お前は異なる文化の人々のふるまいに対して感じる非難や気持ち悪さの感情を正当化するのかしないのか」と問うている。
「大過」に理性はあったのだろうか。
退化なのか対価なのか大禍なのか。
>>14 そういうふうに問題を構成しちゃうと結局人と人の話になっちゃうくない? 動物をヒト化することではじめて彼らのふるまいへの倫理的な気持ち悪さに基づく問いを立てられるなら、やっぱり倫理はヒトのものでしかなくなっちゃうというか……。もしかすると海底が言ってるのは、ヒト化動物のふるまいに対する気持ち悪さについての話は全部人と人の話で、ヒトと動物の話は動物をヒト化する気持ち悪さのほうに振り分けられてる、ってことなのかもしれないけど、そっちもそっちで結局動物はヒトにとって施しの対象でしかないみたいな話になっちゃって、読みとして微妙な気がする。もちろんそういう側面もあるんだけど、異文化に属する人や動物はこちらの価値体系において与奪の対象にしかなれないゲストではないところも重要、みたいな。俺もあんまよくわかってないんだけど。
二足歩行で言葉を喋るといきなりさまざまな規則が支配する社会に組み込まれて、責務の担い手になる(そしてそれ自体は別に不当なことではない)ことの意味、みたいなのもこの漫画では大事なんじゃないかなぁ。
だから『シルク・フロス・ボート』の座談会で俺が言った巴留ちゃん評は不正確かもしれない。抽象的なテーマ上の項の絡み合い自体は結構繊細にやろうとしてる(特に『BEASTARS』と比べたときの「タイカ」は)んだけど、作中の具体的な要素に抽象ワールドの項を紐づけるしかたはめっちゃハッキリしてるというか。
【あらすじ】
"ペットのヒト化"を推進するようになった近未来日本。学校帰りの亜緒が自宅で発見したのは、顔が食べられたように損傷した父親の変死体と、ペットのピットブル、タイカの姿だった。事件現場にいたタイカは、警察のアドバイスによりヒト化されたが、タイカは事件当時の記憶が思い出せないらしい。亜緒とタイカは――タイカが犯人なのか白黒つけられないまま――同じ高校に通い始めることになる。高校では、人間とヒト化人間が共存しながら学校生活を送っており、いまだ犬としての習性が抜けないタイカが人間社会のなかに飛び込んでいく様子が描かれる。事件の真相が告げられない緊張感を通奏低音として、異種族の入り混じるドラマを味わうことのできる作品。
タイカキモ過ぎて読み進められないよぉ!