短編だからだろうけど、きっちり纏まりすぎてて優等生的な印象
短編だからだろうけど、きっちり纏まりすぎてて優等生的な印象
今までの藤本タツキから一捻り加えてきた印象。読者の多くは前作を踏まえて「どうせまた三幕構成だろ」的な自分なりの「藤本タツキメタ」を携えて本作を読むことになったと思うんだけど、今作は父親による反対っていう変曲点になってもギリギリおかしくはないシーンをフェイクとして挟んでくることで「「藤本タツキメタ」メタ」を積んでいた。いじわるな作品。
コマ割りの仕方がまんま映画の画面作りと同じなのは、むしろ映画のやつを直輸入した感じがして、一周回って藤本タツキっぽくなってる。
創作者の在り方を描いたのが『ルックバック』とすれば、今作は藤本タツキなりの創作論を描いた作品だと思っている。作者は自らの主張のために真実に虚実を織り交ぜるし、鑑賞者は悦楽のために真実から離れた意味を見出し消費する。本来フィクションにおける真実とは全く無価値なものだ。「ひとつまみのファンタジー」は読者にそれを明示してくれる。だからこそ、二転三転する物語の中、読者がかられる「藤本タツキがこの漫画で描きたい真実とは…」という思いを、クライマックスで「爆破」した。
精神分析的な作品だと思う。(父なき状況における「母子一体」的な)母-絵梨に対する愛憎、彼女らの死に対する感情といった「どうしようもなさ」に対して、主人公が理性的には向き合おうとしない様がこの作品には描かれている。一方で、父やクラスメイトが母-絵梨を悪く言う、理性の代弁者として登場する。漫画にせよ映像にせよ、創作行為は人間の非理性の部分を動員し、創作者の根源的なファンタジーが投影されざるを得ない側面がある。世界を俯瞰的に見てしまう(;自身の感情をまっすぐに感じられない)主人公が、映像作りを通して自身の非理性を発現させて向き合っていく物語になっているなあと思った。
読み取りすぎかもだが、「ドキュメンタリーを撮る」というある意味で精神分析的な営みが、現代ではリアリティショー的・YouTuber的な商品化された行為と堕してしまい、「ドキュメンタリーには自身のファンタジーが投影される」ということが忘却されていることへの批判が込められているように読めた。「爆発オチ」は現代的なクリーンな商品化への抵抗なのかなと。
作品内で、最初に主人公が全校生徒に映画でクソ展開を見せる。読者は他人事としてそれを楽しみ、物語は映画的な技法で、感動的な展開になっていく。しかし最後に彼は読者に向けて直接クソ展開を見せつける。ここで読者は変なものを見せられた当事者となる。「お前らにだけ気持ちいい思いをさせてたまるか!」そんな心意気をこの漫画から感じた。