安永←これアタシだ……
安永←これアタシだ……
古墳要素だけだれか解説してくれ。
日本史選択者からすると古墳が興奮要素でしたよ。
古墳だけに、か。
この漫画の登場人物はみんな自分の世界観を持ってるね。
埴田さん好きになっちゃうよな。わかる。
馴染み古墳が出てきそうで出てこない。
「キリリ」顔、面白すぎる
1~2巻だけで自画像にしたいコマ15以上選べる自信がある
高校(奈良県)の帰りに古墳見に行ったの思いだしたわ。地元の冬あるあるなんだけど、古墳に住んでる鷺の乾燥した糞が雪のように舞ってて、汚ねぇ情緒だなって思った。古墳って身近にあるとただのでかい森だし、動物の匂いとかで不快なんだけどな。
汚ねぇ色の堀にも囲まれてるし、世界最大とかでも全然ない地元の古墳に行こうってなること自体新視点だった。
たしかに。
「他人に迷惑かけへんことはできる」って言葉がつらい。お前ら安永は人の物語に入ったり、自分の物語を人に押しつけたりしてはいけない人種であると言われてるのと同じだから。
クソ辛辣なアーロンさんや。
攻撃力スフィアいっぱい使ってんねやろうな。
あ、FF10まだクリアしてねー。
安永側の問題意識って結構わかりやすいんだけど(まっ俺らは安永への造詣が深いもんな!)、恥ずかしながらはにまちゃん側があんまわからん。誰か教えてくれ。
『奈良へ』のルフィとか見ればわかるけど、大山海の漫画では一部のキャラが安永的なものの外部として定義されるところがあって、『はにま通信』のある程度うまくやれてる側のキャラたちにもある価値体系の否定でしかない面があると思う。流石にルフィレベルの否定装置ではないが。
安永にとってはにまちゃんは明示的に住む世界が違うと言われていたし、はにまちゃんにとっての田垣の彼女(カミラ)とかも明らかにその関係なのはわかってるんですが。それと、はにまちゃんの記憶(大山海のいつもの時空間がごっちゃになるやつ)がどう繋がるのかピンとこないんですよね。
もうちょい読むか。読解力ほちい。
ひじきニキが言ってた時間の不可逆性は大事ですね。はにまの「記憶」が現実逃避的なものだから時間があべこべになるって言ってましたよね、たしか。はにまが田垣に「カイロス的時間(大山海、お前がそんな言葉使うな感はあるけど)が子供の頃は誰でも持ってる」という発言があるんよね。それを踏まえて、はにまは誰かに恋愛感情を抱いたことがなかったから、子供のまま止まってたと読める。途中で「記憶」の描写がなくなったのは、田垣に恋しはじめたことで、ある意味大人になってカイロス的時間を失ったからなんじゃないかと。
あとは、はにまのパパに対する反応も時間の不可逆性に絡んでそうかな。幼い頃に離婚したパパが今更コンタクト取ってきて養育費を払おうとしたのは時間を巻き戻そうとする行為で、はにまはそれを拒絶した。これに関しては、はにまは母親の苦労を知っていて、それをお金で解決しようとした父親への反感とか諸々あると思うけど。
俺の妄想込みだけど。はにまが大人になった(田垣に恋愛感情を抱くようになった)からと言って、恋愛が成功しないのが大山海の描きたいことかもな。「記憶」から現実世界に移ったはにまは、他者と隔絶された世界の住人になる。その隔絶を部分的に解いて恋愛するというのが、相手の物語で役割を演じることなんじゃないかと思う。はにまが恋した時に「田垣が自分の心の中に入った」と言ってたけど、それは田垣に自分の中で役割を担ってほしいってことかもしれないなぁ。これはさすがに言い過ぎかもしれんが、隔絶の仕方がレイヤーになっていて、恋愛関係はどっちのレイヤーが上かによって、どちらが相手の物語で役割を演じる側になるかが決まるのかも?
この漫画におけるシーモア=グアドは何なんですかね?
コミックシーモアはあるのに、なんでコミックグアドはないのー⁉︎
グアドのポーションはよく効く。
安永は通さない。
大山海が『はにま通信』で描きたいのは、各々が各々の隔絶された世界を生きているという認識を一歩進めて、本来隔絶された世界で生きている人間同士での関わり方なんじゃないかな。ただ、その関わり方というのは座談会でみんなが言ってたような面白味ある人間関係じゃなくて、基本的には隔絶された階層にいるもの達同士で築き得る半ば主従的な関係だと思う。
この漫画を評価しようとしたとき、(↑の認識が合ってるとは言えなそうだけど)そういう世界を描けているかと言われたら、微妙じゃないかなと思う。エンタメに寄り過ぎているのと、群像劇感が出ているのがあって判断が難しい。まぁ、群像劇的な作りになる理由はわかる。安永のような上のレイヤーに完全に隔絶される奴も必要だし、はにまや田垣のようなレイヤーの違いを部分的に解除する奴も必要だから。
最終回近くでシンみたいなやつが出てきて、不可逆な時間を変えてしまうかもな。
古墳がシンみたいなところあるけど。
「シンは安永だ」だったらガチ神漫画。
安永の父親は割とワッカ(エボン信者)みたいなところあるんよね。調子に乗った爺さんが神的存在からしっぺ返しを喰らったという認識で、自分の分相応に生きねばならないと信じてる。
しかも、安永は地蔵(もしかしてシン?)をぶん投げて(え、究極召喚して?)いるんや。
アーロン「シンは安永だ」
はにま「くっだらねえ! なんだよそれ! バカバカしい!」
素敵だ〜ね〜♪
安永ヤバいな。アーロンさんに諭された点ではティーダであり、通してもらえない点ではキマリであり、はにまへの執着という点ではシーモア(≠トーチweb)であり、父親がエボウヨであるという点ではワッカの息子(なおワッカさんが産んだのかルールーが産んだのかは不明)であり、シンを倒した点ではブラスカまたはジェクト(もしやユウナか?)であり、ジェクトの場合はその後シンに至る可能性がある。
最新話あたり読むと、安永がめっちゃ愛らしく感じる。
一方、はにまは擦れてきているというか強かさが出てきたね。田垣は求められれば相手に服従するタイプなんだけど、はにま的にはそういうレイヤーを前提にした関係じゃなくて対等になりたいみたい。
安永のふつうにいいところは、自分と他者を隔絶している物語と闘おうとしてるところ。けど借り物の格言(他人の物語をなぞってるだけ?)を使って、(上から規定されているものとはいえ)自分の物語にあたる地蔵を軽んじるのはイタいよな。でも親父の問題が安永に降りかかるのは可哀想や。
宇仁ちゃんとかから「キショいけどオモロい」という評価を受けているのは、隔絶感薄めじゃね? その後の金持ってるアピール・カラオケで寝はじめる・国家歌うはガチでお前ぇ。
宇仁ちゃんに踏んでもらいたい。
いや、ほんまに踏んでもらいたいんやが。
こんだけコメを生成したが、有象無象ですね。
実は俺さ『はにま通信』そんな好きでもないんよ。おやすみね。
『はにま通信』の登場人物の方ですか?
おはようございます。一夜明けてはにまモード終了いたしました。
座談会でうまいこと言えなかった部分を補足します。
なぜ古墳なのか。擁護する気はないのに、なぜか擁護側の理由を3つ考えていたので書いときます(座談会ってなんでうまいこと喋れないんだろうね)。1つ目は、古墳の持つ悠久さが「記憶」に接続する契機になるから。これは割と古墳じゃないとダメ。2つ目は、古墳は大山海が『奈良へ』で扱えなかった奈良的なモチーフの1つだから。3つ目は、はにまの変人部分を演出するのにちょうど良いから。
ランキング入れた奴ら、みんなコメント書こうぜ。
大山海のnoteに「記憶は時間の不可逆性に対抗できる。そう信じている。」という記述(おそらく真面目に書いてる)がある。
はにまは一旦「記憶」から離れてるわけやが、時間の不可逆性に争おうとして「記憶」に戻る展開あるかもな。
大山海と新井英樹のトークライブってどうなんすか?
「記憶」は時間が不可逆で辛い現実を生きている人にとってのよすがっすかね。ただ現実逃避とも言える。
「記憶」が子供特有みたいな読み方は微妙かも。
一旦、宇仁ちゃんに踏んでいただきたい。
トゥイッターで「宇仁ちゃんは安永みたいな奴にそういうことしてはだめだ(老婆心)」って言ってる奴がいるが、なんかつれぇな。
実際俺(安永)が安永なら宇仁ちゃんに踏んでもらえた時点で歓喜し、宇仁ちゃんに対してゲボ執着してしまうんやけど。
みなさんはどのようにお思いでしょうか?
キラーパスすぎる。
「橘の実持ってきて」はテーマの芯を捉えた会心の台詞だと思うけど、同時に大山海っぽくなさもあって複雑。
そうやね。あんま人を試すタイプの言動って大山海っぽくないよね。ただ、はにまちゃんのやり方が結局のところ田垣に要求を飲ませるに過ぎなくて、うまくいかなそうに見えるのは海っぽい。
試しの言動がぽくないというか、橘の実(不老不死の薬)にははにまの停滞願望、死別伝承をなぞる要求には決別(?)と時間を進めることへの意志、これを多分知らず受け入れる田垣には自他の隔絶、etc……とこの台詞に色々凝縮されているけど、急に既存の文脈で語るのが浮いて見える。
橘伝承の垂仁天皇って宿禰と蹴速やんけ。8位との遠縁。
【あらすじ】
香具山は畝傍ををしと 耳成と相あらそひき 神代よりかくにあるらし 古も然にあれこそ うつせみも妻をあらそふらしき (中大兄皇子/「万葉集」)
奈良の高校生・埴田麻央(はにま)は、古墳に魅せられた少女。岩屋山、箸墓、黒塚、行燈山、櫛山——悠久の眠りを抱く丘をめぐり歩くうちに、その情熱はやがて「古墳部」という小さな輪となって形を得る。友人との距離、進路への不安、そして芽生えつつある恋心。移ろう季節のなかで、はにまは古代の静けさに耳を澄ましながら、自分という存在のかたちを探していく。『奈良へ』『令和元年のえずくろしい』の大山海が贈る、古墳の魅力と青春の陰陽を愚直に描いた古墳青春グラフィティ。
安永に自分を重ねてる人間浅すぎんか?
「安永に自分を重ねる」という安永性はあるんじゃない?
安永はフィクションで安永見ても俺はこんなやつとは違うって思いこみそうだから安永を見て自分も安永だと思う安永性は嘘だと思うけどなぁ。