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名前:
電球
2012/11/14 (Wednesday) 16:17:09
本作において、周囲のキャラクターは軽く描かれており、彼らが話回しのためのキャラクターとして存在しているのは否定できない。
しかし、そこが本作の致命的な欠点だと私は思わない。
それは、本作のキャラクター全てが、そのような描かれ方をされてはおらず、むしろ本筋のメインキャラクターはウエイトを置いて描かれており、寓話を成立させているためだ。
本作において、主要キャラクターは過激なまでに象徴的で、特定の行動原理に沿っている。
自己が無く他者の命令のままに死なんとする少年、その前でメシを食べ続ける女性、他から否定され続けてもネッシーを信じ続ける男、社会を自分と無関係・無価値と位置づけ反抗するテロリスト。
自己の喪失、現実社会の生命力、自身の信条、外界からの隔絶、視野狭窄など、解釈は各々に委ねられるが、ある概念の象徴として彼らは存在している。
また、これらのキャラクターは一貫して象徴に見合った行動を繰り返している。
これは明確に、彼らが象徴であることを示していて、それはある意味で記号性や象徴性が見て取れるかもしれない。
しかし、それは問題視されるものではないハズだ。
まず、本作におけるメインキャラクターは間違いなく、現実世界に存在する感覚を象徴しており、非現実的な記号とはなっていない。
また、キャラクター像も今までのテンプレート的なキャラクターとは異なったモノとして描かれていて、見飽きた記号とは形容できないためだ。
短編ゆえ、フォーカスされるキャラクターの数自体は少ないが、その少ないキャラクターは確実に現実の一部の象徴足り得ている。
この象徴たる彼らが、物語上で希望に出会い、変質するダイナミズムこそが本作の本筋であり、面白さである。
話自体は現実的なものではないが、彼らの織りなす物語は、現実の比喩たる寓話として機能している。
上記のホリィセンやsageeの感想にもあるが、現実世界にそのような変身の瞬間が存在するのではないかと読者に期待を持たせる点などは本作の持つリアリティの根拠とも言えるだろう。
フィクションは所詮作り話であって、メタ視点から見た場合、構造的な記号性や欺瞞は確実に存在する。
今作の場合、短編という形式が完璧な話を実現し辛い、制約を持った媒体であることもそれを助長しているように思う。
それを安易に指摘することは、重箱の隅をつつく行為と何が違うのか?という、自身への批評性も私たちは持つべきだと考える。
勿論、見え見えの欺瞞や明らかな欠陥に対する指摘を止める必要はない。
しかし、漫画という「分かりやすい」構造を許す共犯者としての自覚の上で、漫画媒体で何を描き、そこに何を見いだせるかを説くのが実りある批評のあり方ではないかと私は思っている。
Q.E.D.